古代日本は謎だらけあらゆる説の歴史を公開!!

古代日本は謎だらけです。邪馬台国や九州王朝説などのお話です。

古代日本は謎が多いです。

古代日本は謎だらけです、邪馬台国がどこにあったのか?そもそも存在したのか?

なども年中議論されていますが、結論はでませんよね。

ちょっとした、卑弥呼や邪馬台国について記事にしてみたいと思いましたが、信憑性は古すぎて分かりませんし、正直なところ文献も中国の文献や想像でしかないので誰にも分らない部分もあり言いたい放題の所もあるのが古代日本の現実でしょう。

ちなみに、邪馬台国は無かったとか長野県の諏訪にあった、邪馬台国はジャワ島だったとか、邪馬台国エジプト説なども存在します。

古代日本については謎が累積状態なのです。

卑弥呼は倭国の女王様

邪馬台国はもともとは男性の王様が国を治めていました。

しかし数十年にわたる戦いの末、女性を女王とした定めることになったのです。

この女性が、卑弥呼です。

卑弥呼が女王として君臨していた時代は、西暦180年から250年ころだといわれています。

しかし、そんな女王卑弥呼は人前に出ることはせず1000人もの女性に世話をされながら生活をしていました。

卑弥呼はおまじないのようなもので占いながら政治を行い、卑弥呼の弟がその補佐をしていました。

そして、卑弥呼がなくなった後は直径150メートルほどのとても大きなお墓が建てられたのです。

そんな卑弥呼ですが、実は日本の文献では卑弥呼に関する資料は発見されていません。

卑弥呼がなぜ日本の邪馬台国で政治をしていた、とわかったのかというと、古代中国の文献である魏志倭人伝からです。

これには有名な三国志などの話が書かれているのですが、その中に卑弥呼が魏に使いを送ったなどの起債があったのです。

また、卑弥呼という名前もとても有名ではありますが、実は卑弥呼は中国独自の名前で日本名がほかにあったのではという説もあります。

邪馬台国はどこにあったのか?

卑弥呼が女王として政治を行っていた邪馬台国は、どこにあったのかいまだに解明されていません。

これにはさまざまな理由がありますが、一番は日本の文献資料からは卑弥呼に関することがわかっていないということが大きいでしょう。

解明はされていませんが、邪馬台国だったのではないかといわれている土地はあります。

それは、近畿もしくは九州です。

まず、魏志倭人伝には邪馬台国までの距離などが記載されています。

距離や方角だけでは明確な場所を知ることは難しいですが、実際の魏志倭人伝の地図を参考に進んでみると九州、もしくは近畿にたどり着くのではないかといわれています。

中でも吉野ヶ里遺跡、三角縁神獣鏡、纏向遺跡は有力な候補地です。

纏向遺跡は特に大規模な建物跡や古墳が発見されています。

卑弥呼時代の最大級の大きさの建物跡が発見されたことから、近畿地方が邪馬台国の最有力候補なのではといわれています。

しかし、あくまで仮設であり決定的なことはいまだにわかっていません。

将来的に纏向遺跡以上に大きな遺跡跡が見つかる可能性もあるでしょう。

倭の五王と天皇家

5世紀ころ、大和朝廷が築かれその時代に日本には倭の五王と呼ばれる5人の王様がいました。

讃、珍、 済、興、武です。

倭の五王は、卑弥呼が治めていた邪馬台国と同じくらい日本の中で最大の謎だといわれている問題です。

長年研究されているのですが、いまだに解明されていないことが多すぎるのです。

倭の五王については、中国南北朝時代の宋書に記載があるため存在が知られました。

倭の五王は 413年倭王が東晋に、425年倭王讃が宋に、438年倭王讃の弟珍が宋に、43,451年倭王済が宋に、462年倭王済の子興が宋に,478年倭王興の弟武が宋に使いを送ったとの記載があります。

これらのことから倭国の5人の王の存在はあったといわれているのですが諸説もありますしわからない部分も多いのです。

また、462年倭王済の子興が宋へ,478年倭王興の弟武が宋へはそれぞれ履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇であったのではないかという説もあり、特に允恭天皇が済、安康天皇が興、雄略天皇が武という説はほぼ一致しているのですが、そのほかは未確定です。

九州王朝説は嘘の話なのか?

九州王朝説は7世紀末までに九州を代表する王朝があり大宰府がその首都であったという説のことを言います。

これは日本の思想史学者、古代史研究家である古田武彦により提唱されている説で本当かどうかは定かではありません。

九州王朝説は隋書に日中交渉の記事があることからあったのではないかといわれています。

紀元前から7世紀末まで、日本の政権は一貫して九州にあったというのが九州王朝説の定説です。

この時代は卑弥呼と邪馬台国の時代でもありますが、邪馬台国は九州の半分ほどの地域にあったという説もありますし、狗奴国は九州の南部地域に在ったともいわれています。

そして有名な倭の5王は九州の大王であったというのも九州王朝説から起こった説の一つです。

しかしこれはあくまで九州王朝説であり、確実に九州に王朝があったかどうかはわかりません。

卑弥呼や邪馬台国についても中国の資料からわかることでしか解明されておらず、邪馬台国の場所についてもいまだにわかっていないのです。

だからこそ、九州王朝説についても批判をしている人もいまだにいるほどです。