中国の伝説的な三皇五帝は実在したのか?あらゆる説の歴史を公開!!

中国にははるか昔、三皇五帝なる賢人がいたとされていますが、実在したのか?

三皇五帝とは

三皇五帝というのは、中国の伝説上の聖天子8人の総称です。

神話の時代に中国を統治したと言われている伝説上の人物で、三代の「皇」と五代の「帝」の意味になっています。

皇というのは神、帝は聖人の性格を持っているとされていて、理想的な君主と言われています。

三皇に挙げられるのはさまざまな説がありますが、一般的には天皇・地皇・泰皇を挿していると言われています。

他の説では、伏羲(ふぎ)、女?(じょか)、神農(しんのう)が三皇と呼ばれていることもあります。

五帝もまた様々な説があります。

中国の歴史書である正史の第一に数えられている「史記」では黄帝(こうてい)、??(せんぎょく)、?(こく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん)という五人の君主を表しているため、この五人の君主を五帝と呼ぶことが一般的になっています。

ただ、実際にはこの三皇五帝の君主たちは実在した人物ではなく、全て架空の存在と言われています。

後に秦の始皇帝が「皇帝」という称号を使いますが、これは三皇五帝よりも自分が貴い存在であるという考えから、「皇」と「帝」を組合わせた「皇帝」という称号を使い、中国の支配者は以降皇帝を名乗るようになりました。

黄帝とは

黄帝は、中国の神話や伝説上の皇帝です。

神格を持つ三皇の後に中国を統治したと言われている聖人で、中国人の祖先神とも言われています。

伝承ではその治世は紀元前2510年〜紀元前2448年で、姓を姫、名は軒轅であったとされています。

黄帝は姫水のほとりに生まれたと言われています。

中国の歴史書だる史記によると、炎帝の子孫を破り、さらに蚩尤という牛の頭と蹄を持つ神を滅ぼし、諸侯の人望を集めたと言われています。

三皇の一人である泰皇の跡を継ぎ帝の地位になったといわれています。

黄帝は中国学の始祖として今でも尊崇を集めており、漢の時代には著者が不明とされている医学書は、全て黄帝によるものとされていました。

その他にもさまざまな書を残しているといい、道家、神僊、天文、五行、雑占、医経、経方、房中などがあります。

現代に通じる衣服、船車、家屋、弓矢、文字、音律、暦などを作り、薬草を用いて医術を教えたとも伝えられていて、人々に文化的な生活を享受させた初めての帝王とも言われています。

黄色は中国では皇帝や貴人、さらに僧侶ちった高貴な人々が身に付ける色と言われていたため、軒轅は黄帝と呼ばれるようになったと言われています。

堯とは

堯(ぎょう)というのは、中国の伝説上の君主で、三皇五帝に挙げられる一人です。

姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。

といいます。

三皇五帝は神格をもつ3人の皇と、聖人といわれる5人の「帝」の尊称で、堯はこのうち聖人といわれる五帝に挙げられています。

ただ、この三皇五帝自体は伝説上の主君であり、実在した人物ではないとされています。

中国の歴史書である史記によると、堯は中国の祖先神である黄帝から数え三代目の帝である?(こく)の子供で、兄の死後帝となったと言われています。

その人となりについては、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と言われています。

堯は暦を作らせて、一年を366日とし、三年に一度うるう月を置いたといわれています。

堯は帝でありながらも質素な生活を送っていたと言われていて、その治世も非常に平和に治まっていたと言われています。

ただ、この平和さに堯は不安を覚えていたと言われています。

目立たぬように市井に出ると、子どもたちが堯をたたえる歌を歌い、老百姓が腹をたたき地を踏み鳴らしながら楽しげに歌っていた姿を見て、ようやく平和に治まっていることを悟ったとされています。

瞬(中国)とは

舜(しゅん)は中国の神話に登場する伝説の君主の一人で、三皇五帝の一人と言われています。

中国の祖先神である黄帝の跡を継いで帝位についた??(せんぎょく)から数えて7代後の子孫といわれています。

早くに母親を亡くし、継母、その連れ子、そして父親と暮らしていたものの、父親は連れ子を後継者とするために舜を殺そうと狙っていたと言われています。

ですが、舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたと言われ、その噂が当時の帝であった堯(ぎょう)に伝わったと言われています。

堯は自分の2人の娘を舜に降嫁させその人となりを見極めた結果、舜を次代の帝に推挙し、堯は舜に禅譲したといわれています。

中国ではこの舜は陳の陳氏の祖といわれていて、さらに陳から別れた田斉の始祖とも言われています。

儒教では特に神聖視されている聖人であり、堯と共に堯舜と呼ばれ崇められています。

また特に孝行が優れた24人の人物である二十四孝にも挙げられるなど、中国では非常に敬われている人物の一人でもあります。

舜は後に洪水を治めるために尽力を果たした禹(う)に帝位を禅譲しています。